とらわれ





きな粉 と くろ胡麻 のおはぎが売っていて 

たべたくなって

あしたのお昼ごはんにしよう と買ってかえりました


次の日の朝  今日のお昼はおはぎー♪ と

るんるんで職場に向かっている道すがら

屋根で仲良く 丸くなってねむっている

きいろ と くろ の2匹の猫が



あれれ?  わたしのおはぎがあんなところに





このよっつを絵に描きたい と思いました


きいろいおはぎと
くろいねこと
きいろいねこと
くろいおはぎを




おはぎはとってもおいしかった

なかにはあんこもはいっていた




幼少の頃 お絵描き に夢中でした


描いた絵を 得意そうに親にみせると

もっと娘の絵の技術を良くしよう と思っての
コメントだったと今ではわかるのだけど

わたしの性格も災いして

そっか! こう描いてみよう  とかポジティブな方に受け取ることなく


すきな絵さえもヘタクソな わたしはやっぱりダメなんだ


そのうち 絵を描くことの趣旨が変わっていってしまいました

じょうずに描いてほめられたい みとめられたい

そして 絵を描くことが苦痛になっていきました


どうしてもじょうずじゃない

やっぱりわたしはダメなんだ

なにをやってもダメなんだ

みくのみくはみにくいのみくだもの(← めんどくさ)



そして絵を描くことをやめてしまいました








イメージ 1



すべての答えは自分の中にある

あなたはすべて知っている


スピリチャルや自己啓発で こんな言葉をよく聞くけれど



受け取り方をまちがえると

自分の中の一部で問題が起きているのに

その問題を自分なんだと認識してしまう




えがじょうずにかけない=わたしはダメな子




上手じゃなくたって 別にいいじゃない
描くことが楽しいんだもの


それであなたの価値が決まるわけじゃない









わたしが

わたしは

わたし

わたし

わたし




わたし自分にとらわれすぎていた







草花は日の光を浴びることで生きていける

お日様はだれもが受けられる恩恵なのに

わたしはこんなだから お日様を浴びるなんて畏れ多いです

とかってに日陰を選択して 

自分は 自分は 自分はこんなだからと じめじめと生きる

 



自分から焦点をずらしてみる

自分へのとらわれから 自分を解放する

世界に 使ってください と自分を明け渡す




わたしはこんな人 とゆう思い込みは
周りからの先入観や価値観でかたちづくられていて
その枠に無意識にはまろうとしているだけ


自分を客観的にジャッジしている自分を客観的にみてみるんだ



高い視点と広い視野から自分を観てみる



自分のとらわれから離れるって


マリオカートをプレイしている時のような

我をなくして夢中になっている時のような感じかな


なんかすがすがしい


(あと波動拳を出そうとしている時)





とらわれなければ ヨロコビを選べるんだ

だれかのヨロコビもじぶんのもののように きっと感じる


あたりまえにお日様を浴びられる







最近またお絵描きをはじめて


SNSに描いた絵を載せているのは


自分自身へのとらわれから 自由になる勇気


なんて思われるかしら
露出狂と思われるかしら
自意識過剰と思われるかしら
こわくてもらしそう





なんて思われても   

まぁ いいじゃない



「わたし」はどこにでもいて どこにもいないのだから







追記 :  先日、東京に雹(ひょう)の降った日
                  とても貴重な「お雹見」をおこないました
おでこに穴があきました
           (「お空見」 参)