パラドックス





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        (額のわれめ モーゼの海 と呼んでいる)



宇宙は ある日突然
なにもないところにビックバンが起こって
偶然に始まったと言われているけれど


この物質的宇宙観には 無理があるんですって


例えば 猿が手当たり次第にキーボードを打って
偶然に シェイクスピアの劇が創られる可能性は
10億の2乗年 とゆう時間が必要なんですって


 だけど 宇宙はまだ たった120億年しか経っていない











ひとには心があって
大自然には 神秘的な不思議な秩序が満ちている




やっぱり 「偶然以外のなにか」 が宇宙を動かしているのでは



宇宙はなにか意思を持って より良くなろうとしているように思う


戦争もなくなって 損得もなくなっていって
みんなの意識がどんどん進化して ユートピアみたいになる



なんのためにかはわからないけど




だから人間には心があって 唯一性があるのかな

自分にしかできない経験や 自分しかもてない感性や思想がある


みんなひとりひとりの内側に もう神様の一粒を持っていて
外側に探し求めるよりも 内側のそれに気付くこと

                                    

「真理はあるがままのうちにある    だが、それを探し求め始めた途端 
   それを理解することができなくなるだけだ」


                                    
                                                  (だれの言葉だったかな)










世間で当たり前になっている考えに 当てはまらなくてもいいじゃない と思えた



 
宇宙の進化のプロセスの中で わたしに与えられている 意味と使命




わたしはそれをちゃんと生きているかしら?


この宇宙との一体感を忘れてしまうと ひとは途方に暮れちゃうのかも






この宇宙でダメなことなんてないのだけれど
唯一ダメなことがあるとしたら 
「わたしはダメだし 無価値なの」とゆう思いこんだ思考!




つぶが 膝の上に乗ってきて グルグルいっている
仔カラスのような野良仔ネコだった つぶを助けてミルクをやって
仕合わせに今 生きている

家族がいて 友だちがいて 仕事があって 目がみえて 歩けて  食べれて

もうそれで 充分じゃないの

もうそれだけで仕合わせじゃないか


こんなわたしにこんなにも与えられている


わたしはなにを欲張っていたのでしょう






今のわたしにできることは これくらいなんだ




くやしいけれど




わたしはなにをしたいか   ではなくて

わたしはこの人生でなにを求められているのか


それに相応しい器に達しているかしら?



わたしが こうしたい  ああしたい  なんて自分中心に考えていても

それに相応しい人格でなければ任せてもらうことなんてできないんだ


分相応に人生をまっとうできるように  かっこよくいなくちゃ




自分が情熱を感じる発想は きっと今生で与えられている使命



怖いけど やりたい



神様に使ってもらうんだ







              
          (  ↓脱走成功するも どこか後ろめたさを感じているつぶ)
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